辰年の燈が消えゆく年の瀬、インド音楽史上、一つの時代を築いたリズムのマジシャンが昇龍となり天に召された。それは、確実に今後のインド音楽界の構図を大きく変える出来事であるはずだ。それなのに、我々にはあまりに早すぎる伝説の旅立ちに気持ちが追いつかず、ただ茫然自失するしかない。きっと、その存在の大きさを、その喪失の意味を、噛み締めるためには、幾重もの大きなリズム・サイクルを巡る必要があるのかもしれない。
歴史においては、“もし”と問いかけるのは愚問とされるが、彼の軌跡を明らかにするため、“もし”のティハーイー(3回フレーズを繰り返すインド音楽の特徴的な演奏法)を考えてみよう。
「もし、彼がこの世に生まれなければ、インド音楽はこのように発展しなかった。」
「もし、彼がタブラーを叩かなければ、この楽器の可能性はこれほど深化しなかった。」
「もし、彼が数々の巨匠たちと舞台を共にしなければ、これほどまでインド音楽家が世界的認知度を獲得することはなかった。」
ザーキル・フセインは、リズムの世界におけるターンセンであり、ハリダースであった。そして今や、ナーダ・ブラフマンとして、天界で永劫のリズムを生み出す星になったのである。
私がタブラーをはじめた頃、すべてのインド音楽愛好者がこう尋ねた。「タブラーをやっているなら、もちろんザーキル・フセインのことは知っているだろう?」
知らない者はいない。タブラーといえば、ザーキル・フセイン――。今も昔も、彼の名はこの楽器の代名詞だった。若い奏者たちの多くが彼の影響を受け、私がインドで最初に学んだ先生ですら、自分のグルの写真ではなくフセインの写真を飾っていた。これは特別なことではない。むしろ、タブラー奏者たちの共通の敬意の表現だった。それほど彼の存在は絶大だったのだ。
フセインの偉業を完全に評することは、凡人には到底かなわない。しかし、その音楽の源泉を探ることは、私たちの未来の創造に必ずや繋がるだろう。ここに私の筆を掲げ、冒険的に彼の音が生まれたジェネシスを辿ろう。
フセインのタブラーにおける音楽的貢献は多くあれども、特に重要だと思われるのは、以下の3点に集約されるのでないだろうか。
まず、ペーシュカールと呼ばれるタブラーのソロ演奏における変化自在のウパッジ(即興演奏)を大きく発展させたことだ。ザーキルの属するパンジャーブ流派は、タブラーソロの演奏の最初にゆっくりしたテンポで演奏される極めて複雑で即興性に富んでいるペーシュカールというレパートリーで有名である。ただし、フセインほど、音色豊かに、自由にその即興演奏を膨らませた奏者はいないだろう。まるで、リズムで語り、歌い、笑うかのように自在にリズム周期を跨ぎながら、緩急をつけてティハーイーを決めるその演奏は、まさにリズムの魔術師の真骨頂であった。
次にサントゥール奏者シヴ・クマール・シャルマとの演奏でみせた、伴奏者の領域をはるかに超える数々の妙技である。タブラー奏者でもあったシャルマは、その複雑なリズム演奏を打弦楽器サントゥールに敷衍させ、それまでない形で芸術性を高めた。そのパイオニア精神に呼応するかのように、フセインはシャルマの演奏の演奏に絶妙なマサラを加え、人間の技を遥かに超越した音の祝宴を演じた。彼らに勝るインド音楽のコンビネーションは、過去にも未来にも存在しないと断言してもよいだろう。
Pt.Shivkumar Sharma & Ustad Zakir Hussain | Raag Kaunsi Kanada |
Live at Sawai Gandharva – Part 1
https://www.youtube.com/watch?v=CaV5TjK3TIM
最後に楽器のトーンを最大限に生かし、ダイナミックな演奏を倍増させ、インド音楽の音響の概念を作り替えたことであろう。フセインの録音やコンサートにおける音質は明らかに、それ以前のタブラー奏者のものとは違う。深いパンチの効いたベース音と抜けの良い高音、その二つが組み合わさって生まれるグルーヴ感。フセインが音響エンジニアリングの重要性に気づいたのは、グレートフル・デットの初期のドラマーであったミッキー・ハートとの出会いが大きかったようだ。インドの伝統音楽に根ざしながらも世界を飛びまわり、さまざまなジャンルの音楽家とコラボレーションを繰り返した、ザーキルだからこそ到達したインド音楽の新たな表現方法には、テクノロジーへの深い理解があったのだ。
さて、我々はザーキル・フセインのいなくなったタブラーの、インド音楽の世界を、どのように想像することができるだろう。もちろん彼の偉業に敬意を表し、彼のスタイルを継承する者は多くいるだろう。それはそれで素晴らしいことだ。一方、ここ半世紀ほど、あまりにも多くのザーキル・フセイン・チルドレンが生まれてきたことも事実だろう。どの流派のタブラー奏者もこぞってフセインの技に、スタイルに憧れ、少しでも彼に近づこうとしていた。フセインの影響力は、タブラーの流派や個人の差異をなくすことにもなりかねないほど圧倒的なものだったのだ。
私は、タブラーの象徴とも言えるフセインを失った今、新たなタブラーの世界の発展にある種の期待を抱く。そのまだ見果てぬ世界では、ガラーナーや個人の味を吟味した個性豊かなタブラー奏者が、さまざまな芸風を磨きあげていく。一人の天才の芸風すらも、多様性の渦の中に取り込み、咀嚼し、また新たな表現が生み出される….。そんなインド音楽のあまりに古く、あまりに新しい歴史の流れの中で、フセインが残したターラの余韻を我々は紡いでいこう。
若かりし頃のザーキル・フセイン
(こんなプレーは100年前には考えられなかっただろうし、100年後もきっと聴くことはできないだろう)
https://www.youtube.com/watch?v=xbDofgD04dc
コメント