新作歌舞伎 マハーバーラタ戦記

 

 2017年に歌舞伎座で公演された、インドの大叙事詩『マハーバーラタ』の歌舞伎を観た感想を綴る。筆者は、残念ながら本公演を生で観劇したわけではない。DVDで二幕目と大詰を、鑑賞した。歌舞伎座で生の公演を観たかった。南座で公演があれば、絶対に行っていただろう。

 歌舞伎役者の尾上菊之助は2014年から、この世界一長いインドの叙事詩を歌舞伎化する構想を練り、2017年にはインドに渡り、地唄舞「鐘が岬」を披露し、ケララの舞踊劇カタカリを鑑賞するなどの文化交流も積極的におこなった。

歌舞伎座「芸術祭十月大歌舞伎」極付印度伝 マハーバーラタ戦記
2017年10月、歌舞伎座の舞台に繰り広げられるのは、インド叙事詩「マハーバーラタ」の世界。古代インドの神と人間の壮大な物語を歌舞伎で描き出します。広大で深遠な世界が歌舞伎の手法でどんな芝居になるのか、想像もつかない舞台がこの秋、日本に登場します。

ガンジス川の前で菊之助がカルナに生まれ変わる

筆者は、そのような記事を大変興味深く、読んだ。というのも、菊之助とは小学校の同級生で、彼がこのような形でインド文化に興味を抱き、歌舞伎をとおして日本に紹介することに、不思議な縁を感じずにはいられなかったからだ。そして、この公演を鑑賞させていただき、菊之助の役者としての滑舌の良い台詞や、キレの良い身のこなしにあらためて感銘を受けたのであった。

 

今回は、日本化(?)された『マハーバーラタ』の脚本について、興味深い点があったのでそれについて思うところを綴ってみたい。

歌舞伎版マハーバーラタでは、パーンダヴァに対峙する悪役、ドゥルヨーダナ側についたカルナを主人公にしている。カルナは、マハーバーラタの主要なキャラクターであるユディシュトラ、アルジュナ、ビーマの母であるクンティーが最初に太陽神スーリヤとの間に産んだ長男であり、パーンダヴァとは兄弟である。にもかかわらず、身分の低い出自だとみなされ、武力ではアルジュナを凌駕するほどであったにもかかわらず、辛苦を舐めてきた。そのため、カルナを生涯の親友として受け入れたドゥルヨーダナに最後まで忠誠を誓った。

 インド本国では、カルナは悪役側でありながら、表向きの主人公であるユディシュトラやアルジュナを凌ぐ人気を誇っているのも、そんなカルナのひたむきな性格が影響している。(『マハーバーラタの世界』前川輝光2006)悪役でありながら、どこか悲壮感を漂わせるこのカルナの存在が、日本人の美意識に響くのも理解できる。ここらへんは西洋による植民地期を味わったインド人と、敗戦国としての道なりを歩んできた日本人の間にある共通する”あわれみ”の情感なのだろうか。

 一方で、インドのマハーバーラタに描かれている神と人との錯綜した関係は、歌舞伎ではあまり描かれない。特に原作『マハーバーラタ』においてひときわ異彩を放つクリシュナの存在は、歌舞伎版マハーバーラタでは大分と、趣が異なる。菊五郎が扮するクリシュナは、アルジュナを勇気づける善良なる父神的存在として描かれている。

 しかし、原作のマハーバーラタにおいては、クリシュナは典型的な「トリックスター」である。

 アルジュナが戦意喪失した際に、御者として支えていたクリシュナが、秘中の教えを授ける場面は有名な『バガヴァッド・ギーター』として独立した聖典になっている。そこでは、迷えるアルジュナにシャーマニックなヴィジョンを見せることで、物質原理(プラクリティ)が世界を構成していることをまざまざと体験させる。

 その後も、クリシュナは物語の至る所で、人間的な善悪の範疇を超越して、パーンダヴァを操る。実は、原作『マハーバーラタ』の対戦においては、重要な戦いの局面で正々堂々と戦って相手を倒すことがほとんどない。相手の感情を操作したり、不意打ちを喰らわせたりといった掟破りの戦術が、どんどんと展開していくのが『マハーバーラタ』の物語としてある種のおもしろ味をつくっている。そして、そのような掟を破る方向に運んでいっているのが、なにを隠そう神格クリシュナ自身であったりするのだ。

我が部屋のクリシュナ・ラーダのジュガル・ミラン画

 この様なクリシュナの存在は、この世に存在する不条理なものが神として結晶化したものだとも考えることができるかもしれない。現代人の我々にとっての神とは、人間の願いを叶えてくれる、善良な存在かもしれないが、古代インド人にとって、神はあくまでも、我々の善悪の基準を超えたものであり、推し量ることができない存在だったのだろう。大地の恵も自然災害も同時に引き起こす神に、人類は畏敬の念をもって対峙してきたのも、神は決して安心できる存在ではないからなのかもしれない。

「男性」と「女性」、「悪」と「善」、「敵」と「味方」、「精神」と「肉体」といった境界線を軽々と乗り越え、溶解させていくトリックスター、クリシュナの存在は、『マハーバーラタ』の物語としての重層性を増幅させ、曼荼羅のように幾重にも広がるインドの宇宙観をかたちづくる。

 歌舞伎マハーバーラタを観たことで、改めて日本とインドの芸能の共通点を理解し、一方で微妙な感性や情緒の相違点も感じることができた。将来、歌舞伎がさらにインドとの繋がりを形成し、両国の文化が深い部分で繋がっていくことを願っている。

 

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