さらば ミルトン・ナシメント!
歴史的歌い手の最後の歌声を聴くとは、一体どういう意味があるのだろう。おぼつかない足取りで舞台に上がり、枯れた歌声で数々の名曲を披露して去っていく、その歌い手の名は、ミルトン・ナシメント。「ブラジルの声」とまで称されるMPBの歌い手だ。齢80歳になろうとする。
MPB (エミ・ペー・ベー)は、ブラジリアン・ポピュラー音楽のことだが、その歴史は、ロックと深く結びつく。50~60年代に主流となっていたボサノヴァは、場末の酒場や街中で演奏されていた「ショーロ」や「サンバ」のような泥臭い要素を削ぎ落とし、洗練された音楽になっていった。一方、60年代から欧米でエレキブームが起こるとそれに呼応する形で、ブラジルでも体制に批判的な芸術運動「トロピカリア」が起こりカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルなどの気鋭の音楽家が登場した。彼らはビートルズの『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967)に触発された『トロピカリア』(1969)などで、ブラジルの伝統音楽とサイケデリック・ロックの融合を試みる。
さて、トロピカリアの中心となっていたのは、バイーア出身者であった。バイーアというのは、ブラジル東部の地域で歴史的にアフリカ系住民が多く、アフロ文化を色濃く残す。ボサノヴァの生みの親ジョアン・ジルベルトもブラジリアン・ギターの神様バーデン・パウエルもバイーアに音楽的ルーツを見出している。そこは「カンドンブレ」などブラジルの呪術的な世界が広がる、ブラジルの古層とも言えるかもしれない。
一方で、ミルトン・ナシメントはバイーアの南に位置するミナスジェライス州という田舎町で、育った。メイドであった母親と早くに死別し、その雇い主であった夫妻の養子になる。このような子供時代を経て青年期になるとナシメントは、2つのサンバ・グループを掛け持ちながら、自ら作曲活動を始める。彼は、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンクなどのジャズ・ミュージシャンやビートルズの音楽に影響を受けたという。一方で、彼の歌にはブラジルの大地が育んだ自然の豊かさが深く刻まれてもいる。ナシメントの歌は、一見すごく単純な曲調聴こえるが、西洋音階とは趣が異なる独特なハーモニー、3拍子や5拍子、7拍子など変拍子が盛りだくさんで、ブラジルの民族音楽や儀礼音楽を含みこむ豊かな音楽的感性に支えられている。
最終公演では、全曲歌い切るには体力的限界があったのか、若い美声の音楽家に歌わせる場面も目立った。しかし、ナシメントの歌の独特さは、やはりナシメントでなくては表現できない。そのリズムやハーモニーの微妙な「ズレ」、それが生み出す音楽家としての「オーラ」、そしてこれが最後の公演であるということの「哀愁(サウダージ)」、そんな感覚が渾然一体となってなんとも言えない雰囲気を醸し出す。ロンドンでありながら、聴衆はほとんどがブラジル人。ポルトガル語の歓声がゴシック様式のチャペルにこだまする。
歴史的歌い手の最後の歌声を聴くことは、この希代の音楽家が生涯を通して追求してきた「音の世界」を言祝ぐことにほかならない。そして、彼の音楽に影響を受けた音楽家が、また新しい音楽文化を展開していく。「伝統」から「革新」が生まれ、そして「伝説」になる。そんな循環を繰り返しながら、大きな音楽史が回っていくのだろう。「ブラジルの声」は、多くのブラジル移民の心にどのように届いていたのだろう。私には想像もできないほど、深いサウダージを呼び起こしていたことだろう。
Até mais, Milton Nasciment(さらば、ミルトン・ナシメント)
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